上野 美佐子販社
昭和22年9月22日生まれ。(今年76歳)5人姉弟の次女として生まれました。小学校に入る前まで住んでいた家は牛小屋を改装した借家で、食べられるご飯の量も少なく、家にお風呂もなかったので2週間に1度の頻度で銭湯に行っていました。
小学4年生のとき、自分の生活が周りの人とは違うことに気づき始めて、自分の家が貧乏なのだろうと思っていました。その原因は母が信仰していた宗教からでした。
このままではいけないと思い、お金持ちな人を観察してみるとみんなお米屋さんや酒屋さんや商売をしている人が多いことに気が付きました。
両親からは、「お金がないから高校には行かせられない、中学卒業後は働いてほしい」と言われていたので、中学卒業後すぐに職につきました。しかし、高校に行くことを諦めきれなかったため、夜間高校の校長先生へ手紙を書いたところ、特別に入試を受けさせていただき入学することができました。昼は働き、夜は学校。早く商売がしたいという思いを募らせ、学費は自分で払い、残りのお金は家に入れる生活を4年間続けました。
20歳を迎えた年、やっとの思いで始めた商売の1軒目は「スナック喫茶」を開店しました。そして、商売を通していろんなことを学びました。「お金には手足はない。1人では歩いて来ない」と気がつき、どうすればお客様が来るのか、どうしたらお金が入ってくるのかを考えました。
昔の私は高飛車でお客様に、ものも言わず、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございます」の挨拶さえも言えない自分でした。
そんな時、母の言葉を思い出しました。「商売は損して得を取るんよ。ガツガツしたらいけんよ」この言葉をかけられた当時は理解できませんでしたが、商売を始めてこの言葉の意味を痛感しました。そしてその言葉を胸に、お客様に来てもらうため毎日「いらっしゃいませ」や「ありがとうございます」を口に出す練習をしました。それでもスナックをしていたときは大変で、来て数分間は紳士だったお客様が帰る際には泥酔し、瀕死の状態のお客様に財布を出してもらうのに一苦労でした。
35歳で娘を産み、これまでいろいろな商売を経験してきましたが、子どもの為を考え7軒目となる商売は小さなスーパーをすることにしました。朝5時の仕入れから夜9時まで働きましたが、商売は人が休んでいるときに働く方が1番儲かるんだと痛感しました。だから、毎日が大変できつく苦しくとも仕方なく、子どもを小脇に抱え商売をしました。
46歳の年、主人が他界し、義理の両親と娘の親権の話し合いになりました。その話の最中に、頭に血が上り、いきなりバットで頭を殴られたような痛みが走りました。「くも膜下出血」と言われたそうです。私は気がつくと病院に運ばれていて、先生にどうしようもない状況だったが、奇跡的に助かったと聞かされました。そして本当にこの世に神様がいるのかと思いました。友人からは「娘がいるから頑張れたのね」と言われましたが、私の頭の中はお金のことばかりで、自分に子どもがいることさえも忘れていました。
命を助けてくれた病院の先生にお礼をしなければと思い、500万ほど渡そうと考えましたが、先生がびっくりするかな?と思い、躊躇しました。そして、元気になるたびに100万?50万?とどんどん金額を減らしていき、最終的にお礼として渡した金額は2万円でした。自分でも後で笑うばかりです。
退院後、友人に「家の中でもできる仕事はないか?」と相談したところ、訪問介護を教えてもらい、2級免許を取って7年ほど働きました。疲れ果てていたころ、ルーガス(当時の超音波美容器)に出会いました。当時2度目の結婚をしていました。主人の体は全身ガチガチで針治療やツボ押し、マッサージなどを試しても全く変わりませんでした。ですが、何をしても変化がなかった主人の体がルーガスをあてることで柔らかくなっていくのを見て、衝撃を受けました。
1日1回3,000円で3ヶ月間毎日かけてもらいました。その時、この機械なら商売になると思い、娘と姪に1台ずつ買ってピンハネしようと考えました。(笑)そして、機械を買ってもアミンが潰れたら何もできないと思い、研修や会合に参加しました。その時、会長(当時社長)の「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」という言葉を聞いて会長を尊敬するようになりました。
それからは訪問介護とアミンを掛け持ちで働きましたが、訪問介護の仕事が出来ないくらいエステの予約の電話がジャンジャンかかってきて、訪問介護を辞めようと決意しました。
アミン1本にしてから面白いくらい、お客様が増え、エステが終わると「気持ちよかった」「ありがとう」と言われました。自分の商売のときは、こちらから「ありがとうございます」と言うばかりで、足を踏まれても、ありがとうございます。と言ってしまうほどでした。ありがとうと言われ、気分がどれだけ良かったか…。また、「いくら?」と聞かれて「3,000円」と言うと、「3,000円で良いの?」と言われ、しまった!5,000円と言えば良かった…と思いました。
今までやってきた商売は薄利多売で1円、2円の計算をする毎日でした。ですが、エステではお客様の家のコンセントを借りて、お茶をいただき、寒ければ暖房、暑ければ冷房、お土産までいただいてこんな商売はほかにはない!と思いました。
会社の言うことを聞かずに、毎日エステに明け暮れていましたが、「頭に商い」のシステムをきちんと理解し、利用していればよかったと今は後悔をしています。
今がどんなに辛くても、過去の続きではない、未来へ向かって今日からがまたスタート!アミンには定年はありません。108歳まで生きます!この世を去るときはプローブを握って!(笑)