70歳の軌跡

70歳をむかえた販社の自分史

深田 房江AG

私が生まれたのは71年前の5月8日、埼玉県秩父市で織物業を営む家の長女として生まれました。
幼い頃から住み込みの女工(じょこう)さんや大人たちから深い愛情を受けて幸せな毎日でした。
今考えますと、この頃の母の影響によって現在の私の人格がつくられたと思います。
今97歳の母は私が尊敬する一人で、前向きで良い事は率先してやってくれ、良く働き、誰にでも親切な愛情深い人です。現在、フコイダンGSとナンショットを欠かさず飲んでくれ、周りの人達に元気を与えてくれています。
そんな母に育てられた私は、高校卒業後22歳までの4年間を日産自動車株式会社で働き、環境にも恵まれ貴重な体験を公私ともにさせて頂き東京での生活は良き思い出となっております。

秩父に帰って3年後に縁あって25歳で今の主人と結婚、主人の両親と4人の生活が始まりました。
1年が過ぎるころ、義理の父が脳内出血で他界、その2ヶ月後に長男を出産しました。父が亡くなっても子どもができても相変わらず独身気取りの主人でした。
更に2年後に長女の誕生、少しは落ち着いてくれるかと思いましたが、相変わらずの体たらく。このままでは一生私が生計を支える羽目になると思い悩み、30歳の時に決断し、正社員の事務の仕事を辞めると主人に伝えました。
生活は大変でしたが決断した事で主人も人並みに大黒柱として頑張ってくれるようになりました。

3年後二女の誕生、その子が小学校に入る時に更年期が始まり、気分転換に40歳でバドミントンを始めました。バドミントンのお陰で生活に張りができ、心も落ち着きが出て夫婦喧嘩をしながらでも離婚もせずやってこられました。

そして子ども達もそれぞれ就職し、やっと生活も楽になり、第二の人生を楽しんでいた時に子どものママ友だった深田晴代(現直上AG)さんからのお誘いでアミンとの出会いを頂きました。
一度目は11年前、コンビニで晴代さんに会い、「エステのお試しに来ない?」と誘われましたが「エステは興味ない!」ときっぱりお断り。それから1年後、また同じコンビニで晴代さんに会い、その時は「健康エステに来ない?」と誘われました。健康オタクの私は「健康」という言葉にくいつきお試ししました。コスメデモもしたけど「コスメには全く興味なし」毎日ノーメイク、まっ黒に日焼けしていていつもジャージの自分に美は興味なしでした。
しかし、バドミントンで痛めたヒザの痛みがマットのお試しでたった15分でとれ、靭帯を痛めて何年も消えなかったうずく痛さが15分でなくなりました。
何これ!?こんな事があるの?と思い、すぐにラヴィールマットを購入しました。リファインプロSPやリフレドームもお試しして、自分で入会案内を見て、全部買える!と思って晴代さんに聞くと、「まさか買うと思わないからトライアルは言わなかった」と言われました。それからは晴代さんはどんな方にもトライアルMGから伝えるようになったそうです。
その時は商品ばかりに興味があり、健康志向だった私はお仕事など全くする気もなく、勧められるままにビューティシャン試験で資格を取り、毎月エステ収入で30万円稼げる様になっていました。
バドミントンの練習の時は必ず体育館にリファインプロSPを持って行き、泊まりの合宿にも持って行き、皆が順番待ちで行列が出来るほどでした。自己流のお試しでしたが、1回に30人位に痛いところ1ヶ所をかけて、喜んでもらって満足していました。サロンも気が付けば治療院みたいに次から次へと愛用者の方が増えていきました。

そんな私を見ていて下さった晴代AG、原田IS、門馬GEや祓川本部長にアミンビジネスをご指導頂きました。62歳でMGになり、皆さんが諦めずにご指導してくださったお陰で基本のやり方に変え、64歳のときにLMG条件が揃い、福岡の本社ビルにLMG試験を受けに行かせていただきました。
これが後の私のビジネス意識を大きく変えることとなったポイントです。
なぜかというと、試験を待っている間に本社の社員の方々の対応や雰囲気、空気感を感じて、会長、社長の想いが社員の方にもきちんと伝わっていて教育も徹底されていると感じました。この会社は信頼できる会社と確信できたからです。そしてその待っている間、アミンに出会ってから勝手なやり方、直上の晴代AGとぶつかったりしたことが走馬灯のように思い出されて、それまでの自分のおごりに気付かされ、涙が止まらなかったです。面接のとき、今までの晴代AGに対しての言葉や態度が本当に申し訳ないと思い、これからは恩返しするつもりでビジネスを本気でやろうと思ったのを昨日のことのように覚えています。その時を思い出すと今でも涙が出ます。

その後も相変わらず施術のお客様は増え、バドミントンの仲間は1時間以上かけて来てくれて本当に感謝しています。そんな中、埼玉秩父市は人口の割にアミン人口が増えてきたので展開地区を増やそうとバドミントン仲間の多い、埼玉本庄(ほんじょう)市にアパートを借り、サロンをオープンしました。そこからどれだけの人にお試しをしたか、シュールでの結果にご紹介から沢山のご縁がつながり、バドミントン以外の方々にも広がり、アミンの5ワーク+1で、こんな私でもビジネスとして成り立ちました。そして、ビジネスはやらない、愛用でいいと言っていたバドミントン仲間の荒井さんがシュールに感動し、私も人にやってあげたいと、愛用から4年後、ビジネスとしての動きに変わりました。一緒にビジネスができる仲間ができ、本当にうれしく感謝です。

会長、社長から教えて頂いたこと、アミンの信頼と感謝の考え方など、これからの人生を歩む上での大事な時間と真の自立を志す中で、自分だけ良ければではなく。傘下のメンバーさんの為にもアミンビジネスを伝え、その為に私もAG挑戦しようと決意し70歳ではありますが皆様のお陰でAGに昇格することができ、本当に感謝してもしきれません。

そして、ここ数ヶ月の新米AG業の中での3月30日に義理の母が101歳で他界しました。
この時もアミンに関われて良かった事がありました。
義理の母が亡くなる1ヶ月位前から夜中に暴れて手が付けられなくなりベッドで怪我をし、施設の人達も寝ずの番だった様です。如何したものかと考え、脳の問題かも知れないと思いナンショットを飲んで貰いました。
職員の人の話では本人も美味しいと飲んでくれ、何より夜中に暴れる事も無くなり、皆さん驚いていました。義母も安らかな日常に戻り本当に良かったです。
亡くなる3日前、それまで食事もナンショットも普通に摂れていたのに、ぴたっと食べなくなりましたが、皆に会え本当に幸せそうな安らかな顔で息を引き取りました。101歳には見えない張りのある顔で皆さん愕いていました。

これからの人生もアミンでの経験を活かしながら人に感謝し目標である子どもからお年寄りまで生き生きと過ごせるアットホームな場所作りとそれを運営できる会社を作り、皆さんから信頼され頼りにされる人になり、恩返し出来る様に125歳まで現役でAG業とバドミントン選手の両立を目指し、日本全国飛び回ります。全ての出来事、そして全ての方々に感謝です。