「人は信じる 仕事は疑う」
「人は信じる 仕事は疑う」
(期待はかけるが依存はしない)
■「個人の性格」と「仕事の性格」(能力)は、相違があり、別物である。
その人物の人柄や優しさや善人さ、先(未来)での可能性は信じる。
しかし、その人物が、今(現在)に必要な仕事の役割や責任、成果を果たせるか?
同時に、今(又は、これからやろうとする)の業務に必要なスキルを保持しているかは別物である。
さらに、仕事とは、その時々の優先順位と価値観の共有が重要であり、どんなスキルを保持しようとも、仕事の優先順位がずれれば使えないものとなる。
例) 幼子の「はじめてのおつかい」と同じ。
(愛する子供は信じるが、まともな「おつかい」が、今、出来るかどうかを、疑うは自然であり普通である。さらに、おつかいの内容と違う「お菓子」を買ってくるなどの優先順位や価値観の違いと同じが如くである。)
*例えば、
個人の性格が、
優しくて、
向上心がなく、
争いを好まず敵は作らず、
いい加減で、
ルーズで、
怠けたがり屋の人だが・・・、
仕事となると、
真反対で
結果に厳しく、
妥協を許さず、
敵を恐れず
目標と期限にこだわり、
責任感が強い人と、なれば良しである。
しかし、現実は、使えない人(普通の人や始まりの人)とは、自分に都合のいい人であり、自分に甘く(ルーズ)、仕事も甘い(ルーズ)な人が大半である。
*相手(お客様・上司・会社・クライアント)にとっては都合の悪い人、使えない人である。
■凡人の人(我々)には、我流(自己流)の自分の甘さ、弱さ、ルーズさを、叱責と叱咤激励する「目の上のたんこぶ」的な存在の人や、冷徹に評価・判断する「社会の目」が無ければ、人としてや仕事人として「人格」「品格」や「市場価値」が身につかないものかもしれない。
以上。