「人を育てる」
「東井(とうい)義雄(よしお)先生と小学一年生の作文」
(東井義雄氏は、兵庫県但東町(たんとうちょう)にて長年教員を勤め、教育に命を懸けた姿は、かの森信三先生にして「教育界の至宝」と評された。)
■「自分を育てるのは自分」(より抜粋)
小学一年生の浦島君の作文
「おかあさん、おかあさん」
ぼくがいくらよんでもへんじをしてくれないのです
あのやさしいおかあさんは、もうぼくのそばにはいないのです。
きょねんの十二月八日に、かまくらのびょういんで、ながいびょうきでなくなったのです。
いまぼくは、たのしみにしていたしょうがく一ねんせいになり、まい日げんきにがっこうにかよっています。
あたらしいようふく、ぼうし、ランドセル、くつで、りっぱな一ねんせいを、おかあさんにみせたいとおもいます。
ぼくはあかんぼうのとき、おとうさんをなくしたので、きょうだいもなく、おかあさんとふたりきりでした。
そのおかあさんまでが、ぼくだけひとりおいて、おとうさんのいるおはかへいってしまったのです。
いまは、おじいさんおばあさんのうちにいます。
まい日がっこうへいくまえに、おかあさんのいるぶつだんにむかって、「いってまいります」をするので、おかあさんがすぐそばにいるようなきがします。
べんきょうをよくしておりこうになり、おとうさんおかあさんによろこんでもらえるようなよいこになります。
でも、がっこうでせんせいが、おとうさんおかあさんのおはなしをなさると、ぼくはさびしくってたまりません。
でも、ぼくにもおかあさんはあります。
いつもぼくのむねの中にいて、ぼくのことをみています。
ぼくのだいすきなおかあちゃんは、おとなりのミイぼうちゃんや、ヨッちゃんのおかあさんより、一ばん一ばんよいおかあさんだとおもいます。
おかあさん、ぼくはりっぱなひとになりますから、いつまでもいつまでも、ぼくのむねの中からどっこへもいかずにみていてください。
*この少年が、その後どういう人生を生きたのか、六歳までの母の愛が少年の人生を最後まで支えたことを信じて疑いません。
■『人間はそれほど強いものではない
苦しいこと悲しいことに
胸ふさがれる時もある
気力が萎える時もある
そういう時、どういう言葉を口ずさんでいるか
それが運命を左右することもある』
どうか皆さんに
「心の糧となる言葉」との出会いがありますように。
以上。