今 裕子販社
私は北海道函館市に昭和27年に生まれました。今70歳になりました。
3人兄弟の一番上で下に弟が2人います。父は自営業(建設関係)、母は専業主婦でした。
父はすでに亡くなりましたが、母は今、介護施設に入っています。95歳です。
私は子ども時代はとても幸せでした。
札幌の短大を卒業して保険会社に入社してそこで夫と出会い、結婚しました。
子どもは男の子と女の子の2人ですが、2人とも統合失調症と、知的障害者です。障害が判明したのは2人とも高校を卒業してからでした。夫は私より19歳年上で、早くに亡くなりました。
でも、実の両親と同居していたので、私は仕事を3つ掛け持ちして働きました。保険会社の面接官と、入院・死亡の調査の仕事、互助会の集金の仕事をしていました。
私がアミンと出会ったのは、約24年前、互助会の集金先でした。
当時65歳の松岡さんという方の家に集金に行くと、門馬GE(当時門馬販社)がエステをしていました。
6ヶ月経つと松岡さんは歩けなかったのが、歩けるようになりました。また、顔も若くなって驚きました。6ヶ月の間、私も門馬販社からお試しをしませんか?と誘われていたのですが、時間もなく、忙しかったからそのうちにしますと、断り続けていました。
時間ができて、門馬販社にお試しをしていただくと、体がとっても楽になり、門馬販社にその『ルーガス』(当時の超音波機器)が欲しいとお願いしました。
『ルーガス』を手にしてからは、毎日掛けました。ルーガスを掛けての変化は、楽しかった、嬉しかったのを覚えています。
自分が変われば相手から声がかかります。私の集金先でスナックのママさんをしている方が、私を見て何か違うと言うので、つたないながらもお試しをしましたら、その方はエステにも行っていたので、「これでお仕事がしたいから欲しい」ということから始まり、ここから青森の平川さん、そして現在の原田インストラクター販社、八戸の赤坂インストラクター販社、小笠原インストラクター販社へと繋がっていきました。
そして、門馬販社や会社のスタッフ皆さんのおかげで私も組織ができていき、販社になることができました。私一人ではとてもできませんでした。仲間がいたから、そしてみんなと一緒に走ってこれたからこそ販社になれたのです。
アミンは生涯教育ということをいろんな会合に出て実感しました。
会長の教えがあったからこそ、今回も私の今までの人生で一番大変な時を乗り越えることができました。それは去年(2022年)の2月13日、自宅の外階段から滑って落ち、頸部大腿骨骨折をしたことです。
そこからが本当に大変でした。お医者様からは止められましたが、骨折したまま、障害がある43歳と45歳の2人の子と寝たきりの95歳の母という家庭内都合の段取りを全てクリアしてから、やっとやっとで2月17日に救急車に乗り、入院をして手術を受け、3月21日に無事退院しました。(但し、未だにリハビリが必要な状態です。)
私は病院で入院している間、2人部屋だったので同室の人にアミンの話をしました。
会長の話や、日めくりカレンダーを持って行っていたので話題がいっぱいありました。
「天の配剤 己の力量以上のものを与えず」
「他人と過去は変えられないが自分と未来は変えられる」
日めくりには救われました。私はもちろん、同室の人にも元気を与えることができました。
また、ここからやり直しをして1から始めます。
なぜなら、私にはまだまだ頑張らなきゃいけない理由があります。
それはまだまだ続く介護と、生きがいとするアミンの仕事があるからです。
さらに元気になって販社を作るのが私の仕事です。
それが生きがいなんです。
仲間がいるから、必要とされているから頑張れます。
出会いに感謝、門馬GEに感謝、メンバーに感謝、そして、家を離れることができない私でも(リアルでコンベンションや総会に参加できなくなっても)オンラインでの参加や活動を認めていただいている会社に本当に感謝です。
これからも顔晴っていきます。
ありがとうございます。