70歳の軌跡

70歳をむかえた販社の自分史

安藤 悦子販社

安藤悦子75歳です。後期高齢者となりました。愛知県豊橋市で四人兄妹の長女として生まれ育ちました。生家は衣料品店で製造と販売をしていました。家族は祖父母、両親、子ども4人、そして住み込みのお兄さん、お姉さんたちと一緒に住んでいました。とにかく賑やかな環境の中で育ちました。しかし、父には2号さんがいたんです。
そんな生活の中で母は経済的には恵まれていましたが、とても辛い思いをしていたと思います。時々母は陰で泣いている姿を見ていましたので。私は幼な心に商売屋は大変だから結婚するならサラリーマンと結婚したいと思っていました。

ところが私は短大を卒業してから、一度も就職することもなく縁あって実家の店から30mと離れていない呉服店に嫁ぐことになりました。主人は6歳上で商売があまり好きではない人でしたが、真面目で温厚そうな人ということで結婚しました。
父は子どもに対しては優しい人でしたが、とにかく破天荒でやんちゃな人でしたので主人はその真逆の人でした。
結婚してからは子ども3人の子育てをしながら家業を手伝っていました。結婚当初から主人の両親と同居しての生活でした。義母はその当時社長でした。義母は「子どもは親が育てるのが1番!」ということで私は子ども中心で家業は手伝うという感覚でした。
高度成長の時代ということもあり、順調な経営状態でした。

その後、子育ても一段落したと同時に義父も義母も高齢となり、私の出番がきたんです。私はそれまでも商売は嫌いではなかったので、呉服店の仕事はしていました。しかし、着物は必需品から贅沢品となり、着物離れが少しずつ始まり、陰りが出始めました。そうなると売上も落ちてきました。それでもホテルで展示会をしたり、イベントをしたりと経費をかけてきました。そんな苦労を見ている子どもたちは家業を継ぐという気持ちはなく、それぞれ自立していきました。

そんな状態でしたので60歳を目処に呉服店の店じまいをしようということになりました。
1年半かけて在庫処分、借金返済、売上回収をしました。その後は私が個人で呉服の販売ができるように段取りをして店じまいをしました。
店じまいをしたその年に義母は97歳で亡くなりました。義父はその5年前に93歳でなくなっています。

店じまいをした平成19年に高校時代の友人の山口さんから「このコスメ使ってみたら?」という声かけでアミンと出会うことができました。その頃私は肌の調子が悪く、悩んでいた時でしたのでお試しもせず、3ヶ月コースでコスメを使いはじめました。その時「アミンはネットワークだよ」と言われたので、ネットワークは嫌だなと思いましたが、コスメの良さを実感していたので愛用だけなら…という思いでした。
ところが山口さんや白井販社から体験会やフォーラムのお誘いがあるんです。でもずっと1年以上断り続けていました。そんな会合に行ったらきっと無理やり何か買わされる…と警戒心バリバリでした。
そんな中、山口さんから「コンテストにエントリーしたので応援に来て!」と言われ、「応援なら良いよ」ということでコンテストフォーラムに参加しました。その当時はぽっちゃり体型だった彼女が大変身!60歳過ぎてもシワも出来ずキレイに痩せた彼女を見てびっくりしました。変身した彼女を見た私の妹はコンテストにエントリーを決めました。妹がエントリーし、変身したことがきっかけで私のアミンビジネスが始まりました。
妹から「エステをして欲しいという人がいるから、誰かエステをしてくれる人を探して」と相談を受けました。そこで私がそのことを白井販社に言うと中野統括に相談したらと言われ、中野統括に電話をしました。そしたら「安藤さんがやるのが1番良いんだよ」と言われ、私はそのとき62歳だったのでたぶん中野統括は私の年齢を知らないからそんなことを言うんだと思い、「私は62歳ですよ!こんな年齢でエステなんかできるんですか?」というと「研修制度があるから大丈夫、大丈夫」と言われました。今思えばそのときはまだアミンのシステムが全く理解できていない状態でした。
半信半疑で研修を受講し、とにかくそれからは白井販社が誘ってくれるフォーラム、会合などに参加しました。会合に参加するたびにアミンのことをもっと知りたいと思うようになっていきました。ATSの研修でマニュアルに基本理念、信頼と感謝の言葉を目にしたとき、信頼とは信じられる人、頼られる人になることと書かれてありますが、私にとっては目からウロコの状態でした。
私は40年近く商売をしてきたのですがそれまでは「信用」が大切だと思ってきたので…。そして自立の心から感謝の念が生まれるの言葉で、私は今まで生きてきた人生は人のせいにして不平、不満ばかりの人生だったことに気づかせていただきました。
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」の言葉で勇気をもらい、アミンビジネスに取り組むことができたのだと思います。
そしてアミンアネックスシステム、5ワークを活用しながら、とにかく人に喜んでいただくこと、また、ギブギブの精神でアミンをお伝えしていくことを学ばせていただきました。
そんな中でお仕事にしたいという方たちが出てきました。
気がつけば本当に多くのメンバーさんたちが居てびっくりしました。白井販社や夏目インストラクター販社が関わってくださったお陰なんです。

62歳でビューティシャン資格をとり、65歳で販社にさせていただいたのですが、私がまだLMGだった頃(64歳)、定例会の最後の一言で「販社になります!」と言ったのですが、
その時はまだ本当に販社になりたいと思っていたわけではなかったのですが、柘植GEに「いつまでに販社になるのか言ってください」と言われ、その時何気なく「65歳で販社になります」と言ってしまったんです。そしたら、なんと65歳で販社になることができました。
夢に期限を付けたのが目標と言われますが、まさにその通りだと思います。そして言葉には言霊があるということも学ばせていただきました。言った方に訪れるのですね。

そして、今から9年前の7月のコンベンションのディナーが始まる直前に、主人から電話があり、「体調が良くないので、今市民病院に居る」というので、私は「今日はホテルをキャンセルして帰ろうか?」と言うと、「そうしてくれたらありがたい」と言うので、急いでホテルをキャンセルして帰り支度をはじめました。するとまた電話が。今度は妹からです。「今どこにいるの?大変なことになっているから今すぐに来て!!」という電話で、私は主人に何が起こったのかも分からず、とにかく大変なことになっていることだけは理解できたので急いで帰路につきました。そこから病院に直行しました。私が病院に着いたときには手術も無事に終わったところでした。なんと、急性心筋梗塞だったのです。
後から主人に聞いたのですが、自分の運転で病院に行ったのですが、その日は2回の発作があり、3回目が病院だったそうです。本当に奇跡的に一命をとりとめたわけです。

次は2019年の札幌コンベンションの時のことです。やはり主人が、今度は認知症によるせん妄(もう)(意識障害の一種)のひどい状態となりました。なんでコンベンションのときばかりこうなるの?と思ったのですが、この時は北海道ということもあり一泊してから帰ったんですがとにかくひどいせん妄状態でした。病院でCTやMRIの検査も行い、異常はなかったのですが、ケアマネージャーさんに相談したりもしました。
あまりにもひどい状態でしたので、その当時は施設に入所させた方が良いかも…と真剣に考えたりもしました。
幸いにもそんなひどい状態も1週間位たった頃から少しずつ良くなってきました。
もちろんディメノールやナンショットも飲み始め今では町内の組長のお役や、小学生のみまもり隊のお役もなんなくこなしています。食事のメニューは忘れて何度も聞くことはありますが、食事をしたことを忘れてしまうことはありません(笑)
主人の病気を通して一時は自分がパニックになってしまいそうになりましたがそんなときも
日めくりの「全ての出来事必然必要なり」「天の配剤己の力量以上のものを与えず」の言葉に勇気をいただき、前向きな考え方が少しずつできるようになりました。

話が前後しますが、義父、義母とは亡くなるまで同居していましたが、義母が亡くなって2年後に私の実母が同居することになり、今現在97歳になります。その母はアミンの商品が大好きでめちゃめちゃ愛用者です。「アミンに出会ってなかったらいつか死んでいる!」が口癖です。
そして私が販社になろうかどうしようかと迷っていたとき、「何を迷っているの?私があなたの年齢だったら販社になるよ!」と背中を押してくれたのも母でした。
そんな母もだんだん足腰が弱くなり、現在は要介護3の認定を受けました。当然のことながらすべて車椅子を使っての移動です。ただ、ディメノール(現ブレインナンショット)を愛用しているお陰か、頭はとってもしっかりしているので体が不自由であっても、世話はとても楽に感じます。
以前に認知症だった義母の介護を経験していましたので認知症でないことに感謝です。それでもやはり私は我儘で弱いので、ついつい愚痴が出てしまいますが、そんな時やはり日めくりの「愚痴が出れば知恵が引っ込み、知恵が出れば愚痴が引っ込む」この言葉で気持ちをたて直しています。
今の私は世間でいう老々介護ですが、3年続いたコロナ禍でアミンではいち早くテレワークで対応していただける環境を作っていただき、本当に感謝です。
75年生きてきて、60歳でアミンと出会うことができ、62歳でアミンビジネスが始まり、65歳で販社にさせていただき、69歳で育成販社にさせていただく中で、会長からの熱い想いや言葉が私の頭の中を走馬灯のように駆け巡っています。
この自分史を書かせていただくことで改めてアミンと出会って本当に多くの学びをいただけたことに感謝です。これからの人生は老若問わずアミンをお伝えしていくことが私の使命だと思っています。
アミン最高!ありがとうございます。